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聖書の基本的な教え
-クリスチャンになるために-
クリスチャンになるとは、聖書に証しされた 真の神を信じ、
自分の罪を 悔い改めてキリストの救いを受け入れ、
そのことを証しとしてバプテスマを受け、
キリストのからだなる教会につながることです。
もとよりその歩みは、神の導きと恵みによるのですが、
人間の側から言えば、本人が決断し、教会がそれを認めて
バプテスマを授けることによって始まります。
バプテスマは言わば入学式です。
入学時には、ここに述べられているような基本の教えを
大まかに理解なさればよいでしょう。
あとは、バプテスマを受けてから、主日礼拝を中心とした
誠実な教会生活を続ける中で牧師や教会の指導によって、
卒業のない学びを続け、深めてください。
1. 聖書
私たちの信仰告白の中心はイエス キリストであり、
その基盤は聖書です。
聖書は、聖霊の導きによって書かれた信仰の唯一の規範です。
新約、旧約の「約」は神が人間に与えられた契約の「約」です。
旧約39巻はイスラエルの民と神との契約であり、
やがて来るべきキリストを指し示しています。
新約27巻はイエス キリストを通して示された
神との新しい契約であり、旧い契約の完成を表しています。
(ヨハネ5;39、第1コリント15;3~5、
第2テモテ3;14~16、詩篇119;105)
2. 神
私たちが信じている神は、創造主であり、全知全能、唯一の神です。
神は私たちを愛しておられるので、私たちを救うために、
この歴史の中にイエス キリストを通して、
ご自身を示してくださいました。
私たちは聖書に証しされたイエス キリストを通して、
神がどのような方であるかを知ることができます。
さらに「イエスがキリスト(救い主)である」と
信仰告白できるように私たちを導き、
信仰の実を結ばせてくださるのが、聖霊として働かれる神です。
つまりみ子イエス キリストにおいてご自身をあらわされ
聖霊として私たちの信仰を導き助けてくださる神こそが、
父、子、聖霊として働かれる、まことの神です。
(ヨハネ1;1~14、14;6~7、26、使徒行伝17;24~25、
第1コリント12;3、ガラテヤ5;22)
3. 罪
神は人間が自ら神に従い、神を愛するように、
人間をご自身の像に似せて創造されました。
(創世記1;26~27)
しかし人間は神に背き、自己中心に生きる者となりました。
この神に対する反逆、不従順、不信仰を聖書は「罪」と呼んでいます。
罪とはもともと「的外れ、目標をはずす」という意味です。
この罪から人間の諸々の罪が出てきます。
このように罪ある人間は、そのままの状態では義なる神の前に審かれ、
滅びるしかない存在なのです。
(ヨハネ8;7、ローマ3;23、6;23、エペソ2;1~3)
4. 救い
しかし、人間を滅びるままにしておくことは、愛なる神にはできません。
そこで、義にして愛なる神は、イエス キリストの十字架において、
私たちの罪を赦し、救ってくださいました。
つまり神は「ひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった」
(ヨハネ3;16)のです。 
私たちはこの神の愛にふれ、自分の罪を知って、
悔い改め(神の方に方向転換すること)
イエス キリストを受け入れ、従う決心をする時、救われ、
新しく生まれることができるのです。
これを「新生」という言葉で表します。
十字架の出来事から三日後にイエス キリストは復活されました。
復活は罪と死の克服であると同時に、神の救いの出来事の完成、
保証であり、私たちの希望の根拠です。
(ヨハネ1;12、ローマ6;1~11、第2コリント5;14~17、
第1ヨハネ4;7~10)
5. 信仰告白とバプテスマ
「人は心に信じて義とされ、口で告白して救われ」(ローマ10;10)、
「信じてバプテスマを受ける者は救われ」(マルコ16;16)るのです。
また、教会は「信仰」を基盤として立つ、信仰告白共同体です。
教会員はイエス キリストをかしらとし、
それぞれが肢体として互いに信仰による交わりを持ちます。
ですから、教会は新しく加わろうとする人の信仰を聞き、
基本的に同じであるかどうかを確認し、喜びを共にするのです。
その意味から、バプテスマを受け、教会に加わるために、
自らの信仰を神と会衆との前に告白します。
バプテスマはギリシャ語で「全身を水に浸す」という意味です。
これは古い私が、十字架にかけられたキリストと共に死んで葬られ
復活されたキリストと共に、新しい生命によみがえることをあらわします。
(ローマ6;1~14)
6. キリストのからだなる教会
このようにして、新生し、キリストに従って歩む決心をした人は、
具体的に教会につながります。
教会は、聖霊によって信仰と愛の交わりへと招き出され、
この世の救いのためにたてられた新生者の集まりで、
「キリストのからだ」(エペソ1;23)、
「神がみ子の血であがない取られた神の教会」(使徒行伝20;28)
と言われています。教会はキリストをかしらとするからだ、
教会員はそれぞれその肢体です。
ですから、教会で私たちはお互い肢体として、キリストにあって、
いたわりあい、支え合い、励まし合うのです。
バプテスマを受けた後も、かつて私たちを支配していた罪は、
私たちを再びその奴隷にしようと誘惑します。
神の助けと信仰の友の祈りに支えられつつ、これと戦いますが、
イエス・キリストを信じて歩む時に、勝利が約束されています。
救いの完成のために、主イエスが再び来られることを信じる私たちは、
キリストのからだなる教会の交わりの中で、
どのような時にも希望をもって生きるのです。
(ヨハネ16;33、第1コリント12;12~27、ガラテヤ4;8~11、
エペソ6;10~18)
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