世界一、サンフランシスコ

 

 インターネットで一人でも多くの人に私たちの教会のホームページを開いてもらおうと考えたのが、「サンフランシスコ、世界一」。 はたしてあるだろうかと調べたら、在るは在るは。。。驚いています。きっと、もっと出てくると思います。


世界一の観光地、サンフランシスコ

 世界中の人々に「あなたが一番訪問したい町はどこですか?」の質問に対して、断然トップがサンフランシスコ。世界中の人々から愛されているこの町は、美しい自然と実によく調和し、どこに行っても絵になる最高の眺め。また、この町はあまり大きくなくどこにでもバス、電車で簡単に行く事が出来る便利な町。また、いたるところに名所があり心から楽しむことができる町。サンフランシスコは世界中からの移民の寄り集まりで多様な人種がほどよく調和している。東洋人が町全体の約3割以上で日本からの観光客も全く違和感を感じない町。この町は食道楽の町としても有名で、世界中の料理、それも安くて美味しい食事を楽しめる。また霧の町としても有名で、夏でも冷たい風が吹いていて大変過し易く、冬は暖かく常春の町と言われている。なんと驚くなかれ一年中紫陽花やマーガレットが咲いている不思議な町。

世界一美しい吊橋、ゴールデンゲート・ブリッジ

 サンフランシスコを象徴するものといえば、やはりゴールデンゲート・ブリッジ。全長2789メートル、支柱の高さは227メートル。6車線あり、両側の歩道は無料で通行できる。歩いて渡ると片道約40分はかかる。橋から見るベイとサンフランシスコの町が実にマッチし、その美しさは世界一。この橋は1959年まで世界最長の長さを誇る吊橋であった。1988年に完成した日本の瀬戸大橋とは姉妹橋になっている。

 1930年、この橋の建設は国や州の援助を全く借りずサンフランシスコと周辺6つの町が協力して建設した。この橋の設計者ジョセフ・ストラウス氏は世界中で400以上の大鉄橋を設計した。当時、海流が大変早く、強風と霧の海峡に吊橋をかけるなど、まず不可能と言われていた。しかし、彼は不可能を可能にした。しかし完成した次の年にその生涯を閉じた。

 建設当時、この橋の色を金色、灰色、黄色と黒色のストライブにするなどの意見が出たが、霧の中でもはっきり見えること、また、周囲とのコントラストが美しいとのことでオレンジ色に決定した。色の塗り替え作業には約30名の塗装工が約48日かけて行っている。週約2トンのペンキが使われている。これを、1年に2度繰り返す。

 私達の教会でよくカニ取りに行く場所は、この橋から約50メートル離れた桟橋でゴールデンゲート・ブリッジ、ベイ・ブリッジ、アルカトラス(有名は元囚人の島),サンフランシスコやバークレー、オークランドの町並みなどが見え、眺めは最高。

 ゴールデンゲート・ブリッジは世界一の自殺の名所と言われ、自殺者の数は数千人とも数万人とも言われている。一度飛び込むと浮いてこないことが多いため、正確な自殺者の数が分からないとのこと。よく話題になるのは、自殺者防止のために橋に柵をするか、世界一の美観の守るか? 今のところ、自殺したい人は柵をしても飛び込むとのことで、美観を優先している。 

世界一の人口公園、ゴールデンゲート・パーク

 市の北西部にあるゴールデンゲート・パークは長さ5キロ、幅800メートルで、その広さは日比谷公園の28倍、人口公園としては世界一を誇る。もとは砂漠のような砂地だったが、今は緑あふれる市民の憩いの場所になっている。一年中、絶えることなく咲く花は6000種に上る。公園内には10以上の湖や池があるほか、無料テニス・コート、乗馬を楽しめる施設、ゴルフ場(午後5時以降は無料)などのスポーツ施設や、有名な美術館、旅行者に大変人気のある日本庭園、博物館などの文科施設も充実している。公園は大変広く、徒歩ではとても周りきれない。私達の教会は公園から100メートルぐらいの所にある。

世界一古いケーブルカー

 サンフランシスコは坂の町として知られている。その坂は半端ではない。運転していて恐くなることがある。また、町の坂道を歩いて上り下りするのも大変である。サンフランシスコといえば、有名なのがケイブルカー。今から130年も前に走り始め、いまでも現役ですから驚きである。休日や夏休みには、観光客がケーブルカー乗り場で順番を長い行列で待っている。また、早朝や夕方には通勤客で賑わう。

 ケーブルカーが登場する前は、乗客を馬車に乗せ急勾配の坂道を走っていたそうである。ところが、ある霧の深い夜、馬が濡れた地面で足を滑らせ乗客もろとも坂道を転落し、乗客は助かったが4頭の馬が命を落としたそうです。それを目撃した技術者がスキーリフトの原理を応用して1873年、世界初のケーブルカーを設計した。1964年アメリカ最初の動く国定歴史記念物に指定された。

世界一曲がりくねった坂道、ロンバード・ストリート

サンフランシスコの観光名所のひとつで非常な急勾配の道にZ字状の急カーブが8ヶ所ある。1920年にこの急斜面を車でも通行可能な道にした。このカーブは車を運転する人にとって、かなり楽しめる坂道で、観光客のドライバーが鈴なりになって、この坂道を下ってくる。坂の両側には歩行者用に通路がある。6月には紫陽花が咲き最高の眺めです。

中国国外では世界一のチャイナタウン

 19世紀初めに中国からの出稼ぎ労働者が炭坑夫や鉄道建設労働者、ぶどう園造り、荒野の開拓者として従事していた。1950年代に多くの中国人移民が中国革命を逃れてチャイナタウンに流入し、中国以外で最も大きな中国人街となった。町の3割以上をしめる中国人はすでに4世、5世の時代に入り、生活も多様化し、町の内外に分散しているが、チャイナタウンの活気は衰えを知らない。道の両側には観光客向けのみやげ屋が軒を並べている。また、中華レストランの数も実に多い。また、理髪店から中国食料品店などさまざまなお店が並んでいて、時代と文化を超越した不思議な世界が旅行者の目を引きつける。

世界3大夜景の一つツイン・ピークス 

 サンフランシスコには43の丘があり、眺めの良さナンバーワンはツインピークス(双子山―2つの丘)。晴れた日には、ここからサンフランシスコの町並みや美しい湾、そして湾の向こうにあるバークレーやオークランドを見下ろすことができる。特に夜景は最高で世界3大夜景の一つと言われている。ただ、サンフランシスコ名物の霧が出ると何も見えなくなる。その時は絵葉書をご覧下さい。ただ絵葉書の中には、真っ白と真っ黒で昼と夜の霧のサンフランシスコの絵葉書もあるので御注意。

アメリカ一の大地震

 サンフランシスコは地震の町として全米で大変有名です。1906年4月18日の大地震はマグニチュード7.9で、3千人以上が亡くなった。地震の後、3日間火災が続き、約225千人(町の半数以上の住民)が家を失った。中心街は地震と火災で焼け野原となった。

  19891017日にもマグニチュード7.1の大地震があった。大リーグのワールド・シリーズ第3戦がベイブリ―ジを隔ててサンフランシスコ・ジャイアンツとオークランド・アスレチックスの間で行われようとしていた。全米だけではなく日本をはじめ世界中の人々が、これから始まる野球の試合を見守っていた午後5時、突然グオーという地鳴りが聞こえ、大きな縦揺れの地震が起こった。サンフランシスコに住んでいた私は「この世の終り」かと思ったほで大きな縦揺れを体験した。地震の本場と言われた静岡出身の私で、小さい時から地震を経験していたが、あの時は本当に恐かった。10秒ぐらいの大きな揺れの後、家の中は足の踏み場がないほどの状態だった。テレビ、ステレオ、ビデオデッキ、本、食器,大きな金魚鉢が下に落ち、大事に飼っていた金魚たちが床を泳いでいた。それから3日間電気、ガスが使えず、ロウソクの火の中で祈祷会を守った。この日、サンフランシスコ、ベイエリヤでは、家が壊れてその下敷きになったり、大きな火災が起こったり、高速道路が崩壊したり、ベーブリッジの2階部分が下に落ち、1階の道路をふさいだりで多くの死者が出た。17年以上たった今でも悪夢のようなあの地震の光景を思い起こす。

 サンフランシスコを旅行者が訪問して驚くのが、各家が隣りとぴったりくっつけて建てられている。土地が余っているアメリカでどうしてこんな建て方をするのか。。。 もう分かりましたね。大きな地震が来てもお互いに支えあって倒れないように。1989年の地震の時、大きな効果がありました。大きな被害を受けた建物は、隣りに民家のないコーナーの家でした。人も良きサポーターが必要ですね。 


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